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第11話 義母の計算④

Auteur: なつめ
last update Date de publication: 2026-07-19 12:56:22

 それだけで十分だ。

 婦人たちは笑った。場をなだめるための、上品な笑いだ。けれど、その笑いの底で、もう彼女たちは覚えてしまったはずだ。侯爵夫人は穏やかな顔で、婚約者へ少しだけ冷たい線を引いている、と。

 その印象は、社交界では静かに効く。

 露骨な悪評より、ずっと長く。

     *

 茶会を終えて馬車へ戻る頃には、リリアーナはひどく疲れていた。

 怒鳴ったわけでもない。感情を爆発させたわけでもない。むしろ終始、礼儀正しく、丁寧に話しただけだ。だが、上品に戦うというのは想像以上に神経を削る。相手の言葉を拾い、その意味を測り、自分の返しがどこまで届くかを一瞬で決める。刃物を絹で包んで差し出し合うようなものだ。

 馬車へ乗り込むと、ようやく肩の力が抜けた。

 エマがすぐ向かいへ座り、膝掛けを整えてくれる。

 車輪が動き出すと、乾いた振動が足元から伝わった。

「お嬢様」

 エマが、半ば堪えきれないように囁く。

「……お見事でした」

「疲れたわ」

「でも」

「ええ、分かってる」

 窓の外へ視線を向ける。ヴァレンティア侯爵邸の門が遠ざかる。曇り空の下、灰白色の石造りは相変わらず整い
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     王都を離れる日取りが、ようやく現実の輪郭を持ちはじめた頃だった。 アデル叔母のもとへ向かう準備は、ひとつずつ、けれど確かに進んでいた。父は「静養は一月」と念を押し、継母は露骨に不満を隠さないまま、それでも表向き必要な手配だけは整えさせた。王都から西の丘陵地までの行程。途中で泊まる宿。必要最低限の衣類と書物。薬草院へ持っていくための礼と、母方の家へ送る事前の荷。 夢ではない。 逃避でもない。 それはもう、具体的な移動の話になっていた。 だからこそ、伯爵家の中は妙に落ち着かなかった。 父は平静を装っているが、書斎にこもる時間が増えた。継母は茶会の予定をいくつか詰め込み、娘が王都を離れる前にせめて「伯爵家の令嬢として恥ずかしくない姿」を周囲へ見せておきたいらしい。マリアンヌは姉へ何を言えばいいのか分からないのか、以前より静かにこちらを見つめるようになった。 そしてセドリックは、相変わらず止まらない。 花は前ほど頻繁ではなくなったが、その代わり、必要そうなものが増えた。旅向きの手袋。雨に強い靴底へ張り替えをすすめる職人の名。西へ向かう馬車の車輪に適した金具を扱う工房の一覧。露骨ではない。けれど一つ一つが、彼がこちらの出立を、もはや想像ではなく現実として扱っている証のようだった。 行くなとは言わない。 だが、行くための条件にまで手を伸ばしてくる。 それが不気味で、腹立たしくて、そして少しだけ、以前ほど完全には拒めない自分がいることにも、リリアーナは苛立っていた。 そんな中で、今日は王都郊外の教会附属の慈善庫へ顔を出す予定があった。 伯爵家から薬草院へ運ぶ予定の乾燥布や保存瓶のうち、幾つかを安く分けてもらえるという話があり、エマが「今のうちに見ておいたほうが」と勧めたのだ。継母は「どうせ静養へ行くのなら、その準備くらい自分で見なさい」と皮肉交じりに言ったが、それでも許しは出た。父も特に反対しなかった。むしろ、娘が静養に本気で向かっていることを示す行動として、伯爵家の体面上も悪くないと判断したのかもしれない。 だからその日、リリアーナは珍しく王都の外縁に近い場所まで出ることになった。 供は多くなかった。 表向きは慈善庫への買い出しに近い用事だ。大げさな護衛をつければ、かえって目立つ。御者と下男一人、侍女としてエマ、それに伯爵家の護衛が二名。近郊

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    「今の私は、そういう不器用な引き止め方をされても戻れないわ」 「……分かっている」 「分かってないから来たんでしょう」 「……」 「安全を並べれば説得できると思ったなら、それは管理よ」 「思ってはいない」 「じゃあ何」 「……理由を探していた」 その返答に、今度はリリアーナのほうが黙った。「理由?」 「行くなとだけ言えば、君は余計に離れる」 「そうでしょうね」 「だから、別の形で止められないか考えた」 低い声。  正直で、ひどく不器用だ。  それを聞いて、また少しだけ笑いそうになる。  本当に、この人は侯爵であるくせに、こういうところだけ驚くほど不器用だ。「それで、道が悪いから?」 「……」 「医師が少ないから?」 「……実際にそうだ」 「分かってるわ」 リリアーナは眉を寄せた。「分かってる。だから余計に腹が立つの」 「どうして」 「本当のことを言わないくせに、嘘じゃない理屈だけはきっちり並べるから」 それが、この人のずるさだ。  完全な嘘はつかない。  でも、本当に言うべきことからはずれる。  だから責めきれない。  責めきれないから余計に苦しい。「行くなって言えばいい。  離れてほしくないって言えばいい。  私を見えるところに置いておきたいって、そう言えばいい」 「……」 「そうじゃないと、私はまた、あなたが何を考えているのか分からないまま、条件だけ与えられる」 前世みたいに。  その言葉は飲み込んだ。  言わなくても、きっと彼には伝わった。 セドリックの目が、深く沈む。  今にも何かを言いそうで、でもまだ足りない。  この人の中で、言葉はいつも肝心な一歩手前で重くなる。 長い沈黙のあと、彼はようやく言った。「……離れてほしくない」 「……」 「手の届かないところへ行かれるのが、嫌だ」 その声音は低く、整っていた。  叫びではない。  懇願でもない。  でも、たぶん今の彼にできる最大限の本音だった。 リリアーナはしばらく返事ができなかった。 それを聞きたかったのかと問われれば、単純にはうなずけない。  だが少なくとも、条件の羅列よりはずっと胸に届く。  届いてしまう。  それが悔しい。「……それでも行くわ」 やっとそれだけ言うと、セドリックは目を伏せ

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  • もう二度と、冷徹侯爵の花嫁にはなりません   第14話 地方行きの打診③

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  • もう二度と、冷徹侯爵の花嫁にはなりません    第1話 もうあなたの花嫁にはなりません①

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  • もう二度と、冷徹侯爵の花嫁にはなりません   登場人物

    リリアーナ・エヴェルシア年齢:20歳スタート身分:エヴェルシア伯爵家長女外見:蜂蜜色の長い金髪、柔らかな翡翠色の瞳。白い肌に華奢な体つき。儚げな美貌だが、目の奥には芯の強さが宿る。淡いピンクや生成りのドレスがよく似合う。性格:穏やかで礼儀正しいが、ただ耐えるだけの女性ではない。追い詰められるほど静かに覚悟を固めるタイプ。人の悪意にも鈍くはなく、見て見ぬふりをしてきただけ。長所:忍耐力、気配り、家政と帳簿の管理能力、薬草知識、社交の場での観察眼など。短所:一度情をかけた相手を簡単には切れない。自分の痛みを後回しにしやすい。セドリック・ヴァレンティア侯爵年齢:27歳スタート身分

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